小さな命の抵抗次の日さっそく病院に行き、お腹の上から見る超音波じゃなくて直接中から見る超音波で見てみる事になりました。…そう実は、あのお股開いて座る椅子(なんと言うのか?診察台でいいのかなぁ)初体験。1人目を産んだ時にまったく経験していなかったから、2人目にして初体験。 やっぱりやだよ、恥ずかしいよっていうか、精神的にものすごく辛い。 カーテンでおなかのところを仕切られて、私の見えないところで先生が私のお股を見ていて(そこを見ているわけじゃないけどさぁ)、先生だけならまだしも看護婦さんや色々な人が向こうにいたりする。 よく聞くのは大学病院とかで、気がついたら研修生がずらーっと並んで自分のお股側にいたとかという話。 女性をなんだと思っているんだ、実験台じゃないぞ、わたし達は。…話がそれました。 この診察台に登るまでの間、色々な事を考えていました。だめでも仕方ない、何があっても泣かない、そんなマイナスの方向ばかり考えていました。 この子の存在を信じていなかったのかもしれません。 本当だったら「何があってもこの子を信じる」と思ってあげなければいけなかったと思います。 私が信じてない以上、この子は自分の存在をどうやって信じればよかったんでしょう。 お母さんしかわからないことだったんです。 つわりだってありました。この子は必死で自分の存在をアピールしてました、なのに私は認めようとしていなかった。 どれだけ罪な事か…。 診察台に登るとすぐに診察が始まりました。 そしてすぐに「あ、大丈夫かも」と感じました。 先生が話している事がもちろん聞こえるし、その後きちんと超音波のモニターを見せてくれたからです。 もちろんこの時助産婦さんはモニター側にいました。やはりほっとしました、というよりなんだかまたまた不安になりました。 この時点でおなかの上から見えていなかったという事は週数がまだ早いという事だし、規則正しく月経が来る私としては排卵が遅れていたのかもという事がなんだか信じられなくて「この子自身に何かあるのかも」という不安が私を襲ってきたのでした。 助産婦さんは「そんな事ないから」と言ってくれましたが、手離しでは喜べない私がいました。今思えば私はおかしかったのかもしれないね。 2週間後、前期検診の為にまた病院を訪ねました。2度目の「あの診察台体験」です。 超音波の後、血液検査の予定でしたが・・・。 しかし超音波検査の後すぐに先生に呼ばれて 「あのね…言おうかどうか、…と思うんだけど…」と言われました、普通に。 っていうか、患者の前でそうやって言う先生っていないよね、なかなか。この先生なら信じてもいいかなっていう気になった、その瞬間(単純!)。 うそつけないっていう事は、たぶんいいことだと思うから。 すぐに、そばについていてくれた助産婦さんが 「先生はっきり言ってください」と、私が言う前に言ってくれた。 それで黙ってられたら余計悩んじゃうよね、変な先生だ。 先生は「あのね…本当はさっき超音波を見てた時に言えばよかったんだけど…ここね」と言って超音波の写真を見せてくれた。「ここの頭とお腹のところに2つ、黒いのがあるでしょ?」 よく見ると頭に1ヶ所、肺のあたりに2ヶ所、黒い陰がある。 「これね、お水がたまってるんだよね。」と言う。 「頭の方はたいして気にならないんだけど、おなかの方は今の段階では普通見られないものだから…」と複雑な表情。 そして「僕よりも産婦人科のプロに見てもらった方がいいと思うんだけど」と続けました。 私に考えたり悩んだりする暇はなく、すぐに近くの大きな病院に連絡を取ってくれて、無理矢理当日予約を入れてくれてすぐにその病院へむかいました。 もちろん助産婦さんも一緒についてきてくれました。 私の頭の中は、空白でした。 2人して2時間以上待たされ(しかたない、大病院だしね、急だしね)、診察。 またあの台にのって(もう本当にいやなの、私)診てもらいました。 「今の時点では正直言ってなんとも言えないんだよね…」と思ったより若そうなその先生は言いました。 「もう少し週数が後ならばこういう事も考えられるけど、今の時点でこういう事は考えられないから…」といい、 「もしかしたらたまっている水は消えてしまうかもしれないし、赤ちゃん自体がウイルスに感染してしまっているかもしれないし、染色体異常(!?)も考えられるけど、今の時点では何も言えないから、経過を見ましょう」と続けました。 そしてさらに 「今の段階ではまだ小さすぎて、治療方法はなにもないし、なにもできないから。」とも言いました。 わたくし、人生始まって以来の大事件だと思いました。 大事件です、本当の。 今まで色々な事があったと思うけど、さすがにすべて吹っ飛っとびました。 結婚も出産も経験して、それって人生の一大イベントとか思ってたけど、そんなことこれに比べたらかわいいもので。 また小さい頃いじめも受けたし、就職してからもさんざん色々な事があったりして、しまいには自ら沸騰している鍋に突っ込んで腕に大火傷負ったりして(笑い事じゃない)、でも結構幸せだと思ったりして、まあ本当によく考えれば普通の人生でした(火傷は普通じゃないけど)。 それは自分の事だったから、すべて。 しかし今度は、自分が作った命の事件でした。 助産婦さんは「先生が‘消えてしまう可能性がある’って言ったという事は、もちろん助かるかもしれないって事だから、助かる様にって一生懸命赤ちゃんにお願いするしかないから。」と。 治療方法がなく、まわりの誰も何もできないとしたら、唯一つながっているお母さんにしか、赤ちゃんに対して何かしてあげる事ができないと。 まわりは願うことができる、でも一番近い私が一生懸命祈ってあげなければ、赤ちゃんは救われないと。 ・・・私は今までの自分を悔やみました。 悔やんですむなら一生悔やみつづけなければなりません。 赤ちゃんは自分に何かあって苦しんでいて、私に一番気がついてほしかったのに、私はそのことに気がついてあげる事ができなかった。 どんなにか赤ちゃんは苦しんだんだろうと思うと、本当に申し訳なくてどうしようもなくなりました。 でも、ここで私が悩んだり悲しんだり泣いたりしたところで、赤ちゃんが元気になるんだったらいくらだって泣き叫ぶけど、そんなことをしたって赤ちゃんは元気になるとは思えない。 私が一生懸命信じることが、今の私にできる一番の事だと私は思いました。 水が消える様に、赤ちゃんが苦しく無くなる様に、無事に10月に産まれてこられるように、それから毎日祈りました。 旦那も一生懸命祈ってくれてました。 わたし達にはそれしかできない、でもできる事を一生懸命やるしかない。 苦しい時の神頼みではないけれど、神にだって何にだってこの子が助かるなら祈ってました。 1週間後の検診日までに、きっとお水が消えて赤ちゃんは楽になっていると信じて…。 いよいよその日がきました。お願いする事はお願いした、この子の為にできる事はきっと全部した、後はどんな結果であれ、受け止めるしかない。 きっとお水は消えている、絶対消えている、この子は楽になっている、そう思っていましたし、信じていました。 診察台に座って診察が始まりました。 カーテンの向こうで先生が黙って(何か言ってた気はするけど)モニターを見ている気配がしました。 助産婦さんもいっしょに見ていてくれていました。 でも何の会話も聞こえない、という事はお水が消えた?ねえ、どうなのよーみたいな感じでした。 「じゃあ超音波の機械を抜きます」と言って私の体の中から機械を抜いた直後、向こう側で一緒に見ていてくれた助産婦さんが「先生、自分の目で確かめさせてあげてください」と続けました。 「やっぱり消えてない?」とか思ったのもつかの間また機械が私の体の中に入ってきて、先生がカーテンを開けてくれてモニターをこちらに向けてくれました。 「これね、赤ちゃんなんだけど、心拍が停止しちゃってるから…。」と淡々と、本当に淡々と言いました。 |